
text 土居奈津美
明るい気分の時にはとびきり鮮やかなアクセサリー、雨の日にはシックなアクセサリーを。
女の子はその日の気分でアクセサリーが変わるんです。いえ、つけているアクセサリーで気分が変わるのかも。
それは旅する女性も同じはず。
今回ご紹介するのはハンドメイドアクセサリー作家の友野優子さん。
Ten to Ten Sapporo Stationのフロントで、チェックイン待ちのゲストがいつもcute!と声を上げる、「折り鶴ピアス」のつくり手です。
友野優子さん
北海道北広島市出身のハンドメイドアクセサリー作家。『コトエリ』という屋号のもと、ピアス、イヤリングを中心にアクセサリーを制作、国内外で販売する。2015年にpaper jewellery DROPSというブランドから作家として活動することに。現在は屋号をコトエリに改名。マーケットや店舗販売、オンラインで購入できる、紙を中心にした温かみのあるピアスが代表作。
オーストラリアへ
「新卒で入社した企業を、半年でやめました(笑)
”仕事はお金を稼ぐための手段”として割り切ることもできるけれど、私は日々の仕事に対して生産性を見出したいと考えていました。」
優子さんは、現在の仕事ではそれが叶わないと判断し同期の中で一番に辞めます。その後、ワーキングホリデービザを取得し、オーストラリアの子どもたちに日本語を教えるボランティアという形で渡豪。仕事を辞めてから半年後のことでした。生活することになったのは、アデレードという街。ホームステイをしながら子どもたちに日本語を教えることに。しかし、一か月ほどしてから、「この仕事に向いていない」と気づいてしまいます。が、まだ帰るわけにもいかず…。「何をしたいのか」自問自答しながらも、毎日思っていたのは「早く日本に帰りたい!」ということ。
アクセサリー制作との出会い
悶々と過ごす日々が、現在のアクセサリー作家へと繋がったのは3か月が経ってからのこと。滞在していたアデレードでは、毎週末には街の様々な場所でマーケットが開かれていたそう。様々な国の人が集まるオーストラリアだからこそ、各国の色を持った商品が陳列されていました。優子さんがそのマーケットで気づいたのは、「日本色がない」ということでした。
「アデレードは、在住の日本人が少ないため”日本”が見える面が少なかったんです。マーケットには日本の色がないなあ、何かここに日本らしい物を出せたらいいな、と漠然とした思いを持ち始めました。」
そんななか、ある日突然、現在の代表作である「折り紙ジュエリー」のアイデアが振って降ります。日本らしさを表現する「鶴のピアス」を作って売ったらどうだろう?思いつきをきっかけに試作を始めました。

折り鶴ピアス。ひとつひとつ折り紙が違うため、迷ってしまいます。
知識ゼロ・経験ゼロから始める
思いつきが、現在の仕事にまで繋がった一因に、周りの人の助けがありました。単なる思い付きを盛大に後押ししてくれたのは、ホストマザーのキャサリンさん。
「キャサリンに、こういうのをマーケットでやりたいんだけど、どうかなあ、って言ったんです。できるわけないと思うんだけれどできたらいいなあ、というニュアンスで。で も彼女は200%の力で応援してくれました。優子なら絶対できるよ!って。」
そもそもピアスを開けておらず、イヤリングを付ける習慣もアクセサリーを作った経験もなかった優子さん。何が必要でどこで買うのか、どうやって作るのか…。右も左もわからない彼女に、キャサリンさんをはじめ、周りの人が沢山助けてくれました。
「私のチャレンジしたい、っていう気持ちを周りがすごく助けてくれました。こういうものが欲しい、私こういうことやりたいのって、すごく言いふらしていました。すると色んな人が教えてくれたんです。」
周りの人に助けられながらピアスの試作を重ね、最終的にマーケットに出展することができました。折り鶴のピアスは、マーケットで人気を得て、帰国する時には現地のお店に買取をしてもらうこともできたそう。当初予定していた「日本語教師」という仕事とは全く異なることと出会った一年。アクセサリ―制作との出会いを得て、日本に帰国したのは2016年の4月でした。

アデレードでのマーケットの様子
日本での制作活動
paper jewellery DROPSは、オーストラリアでやり切った!という想いがあり、日本でそれを続けるつもりはありませんでした。しかし、アクセサリーづくりを再開するきっかけになったのは、またしても「人」でした。
「オーストラリアで出会った友達が、もうやらないの?私は優子さんの作るピアスが好き。私はもうちょっと見たいなあ。って言ってくれたんです。その言葉をきっかけにもう一度やろう、と思いました。」
日本に帰ってきて約1年間はがむしゃらに作り、露出していくことに専念します。ある時、出展していたイベントで、とあるバイヤーさんとの出会いがありました。パッケージをもう少し工夫してちゃんと売っていこう、と声を掛けてもらったことで、いきなり銀座の東急プラザに期間限定で出展できることに。
「確かに当時のクオリティは低かったけれど、その話をいただいたときは、チャンスがあるなら挑戦したい!って飛びつきました。」
そこからパッケージや台紙、魅せ方を工夫していき、一つの作品、商品として固めていきます。
「こうしよう、ああしよう、って作品の改良を重ねていったのはもちろん自分自身だけれど、いつも周りの人たちのおかげでした。すごく人に恵まれて、人に助けられています。」
作品を通して人の輪が広がり、人の輪を介して作品がまた広がっていきます。
屋号を変える
ひたすら作って露出して、あっという間に二年が過ぎます。三年目はブランドをもう一度考える年になりました。
「私がアクセサリー作りを続ける意味は何だろう?」
オーストラリアでたちあげたpaper jewellery DROPSのコンセプトは「日本の文化をモノづくりを通して世界に広めたい」というもの。たしかにオーストラリアでは、マーケットに「日本の色」を加えたいと思い、始めました。でも、日本に帰ってきて、作品を作り続けて三年。「果たして自分はその使命を背負って作っているのか?」と自問自答をしたときに、「いや、そうではない」と答えが返ってきます。
「じゃあなんで私はアクセサリーを作っているんだろう?」
改めて根本的な問いにぶつかります。丸三年間、アクセサリーを作り続けてきた、その事実があるから、アクセサリーを作っている意味がないわけではない。でもそれは何だろう?
自分のブランドと、とことん向き合う日々。
一年間考え抜いて気づいたのは、”オーストラリアとのつながり”でした。
口下手で英語もあまり喋れず、思い通りに伝えられない。もどかしい!それでも、絵を描くように、何かを「createする」という行為を通して、それをコミュニケーションの一つの道具として自然にずっとやっていた。それがオーストラリアでの日々でした。
「絵を描いていたら、面白いことに話しかけられるんです。すごいね!って。そんなときに、言葉や文化が全部違ったとしても、美しいものを美しいと思う気持ちは世界共通なんだ、と思いました。」
ブランドをみつめ直してみると、今まで自分がコンセプトとしていた「モノづくりを通して日本の文化を伝える」ということは、あながち間違っていなかったと気づきます。間違いではなかったけれど、ズバリの答えではありませんでした。オーストラリアでの”言葉以外”でのコミュニケーション方法に気づいた時に、「なぜアクセサリーを作っているのか?」という問いの答えが見つかりました。
「私は共感をつくりたいんだ」と。
そこから、屋号を今までの「paper jewellery DROPS」から「コトエリ」に変更します。
新しい屋号のコンセプトは「Create Empathy/共感をつくる」。フィールドが日本に移ったことで、「日本らしさ」つまり和紙や折り紙ににこだわる必要がなくなります。もっと大きな視点、すなわち「共感する」という部分にこだわりを持つようになりました。
「オーストラリアに行かなかったら私は折り鶴ピアスをやらなかったと思います。日本にいたら、言葉でコミュニケーションをとれるから、”モノづくりを通して共感しあう”という発想に至らなかったからです。」
仕事を辞めたこと、アデレードに行ったこと、日本語教師に向いていないと分かったこと、そのすべてが連鎖的に反応して生まれたのが、「アクセサリーをつくる」という行為でした。
コトエリとは?
大和言葉で「ことばをえらぶ(言選り)」を意味する言葉。

オノマトペシリーズ。「泣く」という行為を表す言葉。「うるうる」「はらはら」「ほろり」のそれぞれをイメージした作品。
新たな屋号の裏には、「言葉を選ぶのと同じように、沢山の作品の中から365日、その日にあったアクセサリーを見つけてほしい」という想いが込められています。
「常に作品について考えています。”コトエリは”何をやっていきたいんだろう?どういう風に見てもらいたいんだろう?と問い続けます。」
作品そのものが、彼女が表現したい言葉。彼女にとってアクセサリー作りとはすなわち、自分という人間を考えた結果、それを「伝える」、モノに「想いを込める」という行為でした。
「私は職人や芸術家ではありません。どちらかというと、自分の手で”作る”ということに強いこだわりを持っているわけでもありません。作る技術が自分より高い人は沢山居ます。ただひとつ譲れないのは、つくられるものに想いを乗せる、と”考える”ことです。」
優子さんの中のブレない芯は、「Create Empathy/共感を作る」。ブランドとしての考えの根本にあるのは、「共感を広げたい」という想いです。
「私は紙でピアスを作っています。金やシルバーに比べて、紙そのものの価値はそれほどではありません。モノそのものの価値以上の付加価値をつくっていくのが私のやりたいこと。その”モノ”に、その人だけにとっての価値を与えていきたい。私が作ったものを良いと思って買ってくれた人がいて、その人がつけている姿を見て、似合うね、って言ってくれた人が今後は買ってくれる。褒められた人は幸せになる。その共感がどんどん波及していく。そのこと自体が一番の価値だと考えています。」
たった一つのアクセサリーに、その人だけの付加価値をつくっていく。それは無限の可能性が秘められたこと。そしてそこにやりがいを見出します。
「私は、”私自身が作る”ということではなく、”コンセプト”で勝負をしたいと考えています。だから、どういう人がどういうことに価値を感じるんだろうか、と常に考えることをやめられません。」
「作品をつくる」ことへのこだわりよりも「共感をつくる作品を生み出す」ことに、とことんこだわっています。そしてその作品を「広げる」、すなわち「共感の輪を広げる」ことを目指す優子さん。では、「共感をつくる」ために何を大事にしているのでしょうか。
誠実であること
「作品を作るうえで大事なのは、”なんとなくつくらない”ということ。」
新しいものを作るときは必ず誰かにつけてもらい、どのように揺れるのか、どのくらいの髪の長さに似合うのか、といったことを総合的に考えます。そしてその作品に込めるコンセプトをひとつひとつ考えます。
「そういうのを考えないで作ると、ちゃんと売れない。ちゃんと選ばれないんです(笑)作品はすべて自分の子ども。私は自分で制作から販売までやっているから、売れないもの、売れるもの、全てに対して同じだけ愛を注いであげられます。だからこそ適当に作る、っていうことを絶対にしません。可愛がってあげる。子どもに対して意味を込めて名前を付けるように、私も一つ一つの作品に、愛をこめて作っています。」
人だけではなく、作品に対してもとことん誠実に向き合う。だからこそ、優子さんの作品を多くの人が応援し、素敵だと思うのかもしれません。
準備は一生整わない
ブランドはいよいよ4年目。
アクセサリーをつけなかった人間が、オーストラリアでの経験をきっかけにアクセサリーを作る側に。日本に帰国してからは、ビジネスとしてブランディングを行い、その勢いを広めています。全く関わりのなかった領域を、仕事に出来たのはなぜか。
「進みながら行くしかないと考えています。悶々として答えが見つからないからって立ち止まっていると、一生そこに立ち止まってしまう。準備は一生整わない。準備が整うのを待っていても、置いてけぼりになるだけ。」
ブランドを立ち上げた当初は、全てが初心者。けれど、やるしかない。ちょっと背伸びをしつつ、今のレベルで自分のできることにチャレンジして、ちょっとずつ進んでいく。そんな歯がゆさをも伴うチャレンジ。
「ずっともやもやしているし、今ももやもやしています。たのしいけれど、ストレスですね(笑)やりたいことをやっているけれど、大変です。でも、こうやってもやもやしながらも”続けている”ということにすべてがあると考えています。大変なことも多いけれど、結局続けているから、好きなんでしょうね、きっと。」

Ten to Ten Sapporo Stationのレセプション横にも並びます。
たまたま行ったオーストラリアで出会った、ものづくり。
自分はなぜアクセサリーを作っているのか?と問うてみると「共感をつくりたい」という想いが潜んでいました。その想いは、ブランドが誕生した3年前から始まったものではなく、きっと優子さんが生まれた時からのもの。
人に、モノに、そして自分のやっていることに対して誠実に向き合ってきたからこそ、美しいアクセサリーを生みだせるのではないでしょうか。
素敵な素材・色味を備え、こちらも選ぶのに真剣になってしまう優子さんのアクセサリー。
Ten to Ten Sapporo Stationのレセプション横で出会えます。
この色は、きっとあの子に似合うだろう。そんな優しい気持ちが、自然と心に浮かぶアクセサリー。ぜひ手に取ってみてください。
それを身につけて旅に出れば、特別な時間が、さらにかけがえのないものになるはずです。
※写真提供:コトエリ(ピアスの写真)
【コトエリ】
〇オンラインショップ/ https://kotoeri24.official.ec
〇Instagram/https://www.instagram.com/koto_eri_/
〇Facebook/ https://www.facebook.com/pg/kotoeri24/about/?ref=page_internal
【アクセサリー取扱店】
■Ten to Ten Sapporo Station
■Ten to Ten Nakajima-Koen
■ 新千歳空港 スカイショップ小笠原
■TSUTAYA 美しが丘店
■江別 蔦屋書店
■ナナクラ昆布 直営店
■モードサロンおおたけ
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WRITER
女子大学院生ライター。岡山県出身、北海道満喫6年目。春は勢いのある雪解けを楽しんで、夏は麦わら帽子を持ってドライブへ。秋は美味しいものを食べ、冬は雪の綺麗さに見惚れています。